2024年1月 9日 16:34 | 音楽のこと
私が普段接している方達は、俗に言う「見識」や「素養」とかけ離れたところにいます。
はさみで紙を切るにしても、服のボタンを閉めるにせよ、ご飯を食べるにせよ、支援が必要なことが多々あります。
支援は、生活に必要なことを補助するだけではなく、そこに必要なスキル習得の手助けや導きをすることも含まれます。
見識:
1.物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。ある物事に対する確かな考えや意見。識見。
2.気位 (きぐらい) 。みえ。
見識とは、知識やその量を指すものではありません。
また、使い方によっては「2」の意味を持ちます。
さて、私は「本質をとらえる」というところに着目してみようと思います。
「本質が何を指すか」という部分は様々な見方があると思うので、「スキル以外の何か」と仮定しておきます。
●ある強行の児童
言葉を全く話さず、聴覚過敏を特性として強く持ち、声の大きなお友達に反応し、他害行動に走ってしまうある児童。
フラッシュバックによるパニックも頻繁に起こり、壁への頭の殴打や髪の毛をムシってしまう等の自傷行動もみて取れます。
児童はこのような行動に出る時は決まって「困っている」ことや「不安」に陥っていることが多く、それを言葉で表現できない為に
様々な表れになって行動が具現化します。
支援の長いスタッフは、例えば、袋の開けにくいお菓子を手渡してしまい、それが開けられなくて困っている「表情」を汲み取ったり、
そもそもそのような事態を未然に防ぐ「袋に切り込みを入れておく」等しながら安心できる環境作りを行います。
場合によっては、本人の状況を見ながら、袋の開け方を教えてあげることもあります。言葉が通じない分、教え方も創意工夫が必要ですが、できることが一つでも多くなればなるほど、この児童は落ち着いて活動することが上手になってきます。
そういった意味では「教える力」と「教える理由」「教え方」そのものがとても大切になってきます。
●心から信頼できる母親や支援者
この児童は、信頼している人にはほっぺたを抓ったり、頭のにおいをかいだりしながら、満面の笑みで近づくという行動があり、好きな人や信頼できる人がハッキリしています。
親御さんが、この児童に「スキ」という言葉を教えました。
スタッフは、その児童が課題を頑張った時や、満面の笑みで近寄って来たときに、「スキ」と言い続けました。
●本質
児童は、気分が良く、信頼できるスタッフがいる場合、ニコニコしながら「ス・キー」と言うようになりました。
この場合、スの発音とキの発音、その二つを連結する事等が「スキル」に相当し、
「それを言いたい気持ち」と「言って得られる感覚」や「空気」が「本質」に繋がる部分になろうかと思います。
この児童はyoutubeで「みんなの歌」や「ディズニー」の曲を聴くのが大好き。
上記で得られた感覚と通じるところがあるのではないでしょうか。
「それを聴きたい気持ち」と「聴いて得られる感覚」や「空気」を求めていると考えられます。
それには、得られる感覚を知っていることが条件となるため、聴く曲(求める曲)は毎回同じになってきます。
皆、時には身体を動かしたり、時には食い入るように音楽を聴き、一緒に歌ったり、ニコニコしながら、
「楽しむ」
のです。
私は、「音楽を聴くこと」はそれでいいのだという大前提を、この児童や特性を持つ児童達から教わりました。
●理解できる幅、楽しめる幅を拡げる自由
楽譜を読む、歌う、分析する、聞き分ける、楽器を知る、演奏する、歴史を知る、人を知るという知識量やスキルを向上させることは、
この
「楽しむ」
のバリエーションや幅を拡げることに繋がります。
「より楽しむため」の活動です。
より豊かを実感するためのものであると思うのです。
時には、音楽のもつ効果を、聴くだけ(自分が味わう為)だけでなく、人に伝える為に必要な力でもあります。
理解できることが増えれば、楽しみ方も増える。
しかし大切なことは、
この「幅を拡げたいと願う気持ち」や「実際拡がる方向」は、個々の自由の上に成り立っているということです。
ですので、幅を拡げるか否かに善悪は無いことが前提となります。
●共有されるよろこび
自分が味わった感動や楽しみを、人と分かち合えることの幸せは特別なものです。
場合によっては孤独を払拭する力をも持っていると感じます。
その時必要となるのは、
共通言語と伝達力。
それを得る為にも、勉強は大切になってきます。
私はこれも良く思うことですが、
共有の幸せは「感動の共有」にあるのであって、
「あの人のどこが悪い」と言った非難の共有とは意味が異なるものであるということです。
非難の共有は仲間意識を増進させますが、それは音楽の力とは無関係です。
そしてそれはまた別のお話としましょう。
●望むことに自由に。
こんなことを日々様々な特性を持つ方から教わるうちに、
特に理論と感覚、どちらが是か非かということではないことがわかってきます。
役割も意味も違う。
音楽に限らずですが、
皆、歩む速さはそれぞれ。歩み方もそれぞれ。
欲求は自由。
であるなら、楽しんだ方が良いですよね!
今日も目の前で、雑念無く音楽を楽しむ児童を見ながら、嬉しく、ほほえましく思うのでした。
人は、とかくカテゴライズしないと物事が整理できないものではありますが、
それと音楽は、直接的にイコールではないとも思います。
●音楽と接して
私は今日も明日も
・自分が好きな楽器を使って
・自分が理解できることを最大限に楽しんで
・結果得られる私なりの感動を明日の糧にして
・一日に一個だけ、昨日知らなかった事を学びながら
音楽活動をするでしょう。
そして共有の幸せが稀に訪れる、出逢いと機会に感謝しながら生きてゆくでしょう。