ウェブといふもの。SNSといふもの。
2026年2月 4日 21:57 | 日常のこと,福祉のこと,音楽のこと
まえがき
まだウェブ技術がない頃に生まれ、PC98でDTMのはしりなんぞを楽しみ、ポケットベルで意思を伝え、カラー液晶化した携帯電話に感動し、呼び出し音が3音同時発音(敢えて3和音とは言わない)に驚き、そんなオッサンが、SNSに飲まれる様々なコミュニティを見ていて思うことがあって。
私は30代の頃、多数のウェブサイト制作や日本大学でのウェブ技術や情報処理の講師をしてきたりしたこともあって、ウェブの起源とその思想や目的を強く意識しながら仕事に当たってきた。
まず断言するが、抜本的にウェブの真髄はハイパーリンクにある。
情報同士がリンクで強化され、それが遠方でも有益な情報共有になる。
それで可能になる、特に医学の発展や、確立された手段の即時性の追究、研究内容の強化等が望める。
それがウェブが目指した発展の形である。
また、現代のウェブ技術を使ったオンラインゲームは、ウェブの正統な使用方法や目的の延長線上にあるものではなく、あくまで派生的な応用技術と言える。
そう考えると、現代のSNSでの「表現の自由」は、商業的なウリ文句で、実はウェブの発展を足踏みさせる一因にもなり得たりすると私は考えている。
ウェブの根っこにあるもの
ウェブの本質は、「人類の知識を"線"ではなく"網"として扱えるようにしたこと」
これに尽きる。
その装置がハイパーリンクである。
本や論文は基本構造が直線構造であって(1ページ→次)、ウェブは概念から概念へ「跳べる」、この構造がそもそも異なる。
これは巷で論議される「書籍か、ウェブか」といった、どちらがより高い価値を持つかどうかといった論点は全く意味を持たず、ハナから構造と目的が異なるのである。
つまりウェブは、情報を保存する技術ではなく、情報同士を「関係づける」文化装置だった。
ここが原点であって、またとてつもなく革命的な仕組みだった。
なぜハイパーリンクが人類史的に重要か
人類の知は、
口伝から書物へ、そしてそれが図書館へ、さらには学会へ。
ずっとこうやって進んできたが、これは、
「中央集約」や「権威」または「物理的距離」に縛られていた背景がある。
ウェブはそれを壊した。
場所を越える。
専門領域を越える。
国家や制度を越える。
といった革命である。
特に医学・科学・工学では、
「A分野の知見が、遠く離れたB分野の研究者に即座に結びつく」
即座。これが可能になったことは純粋な文化の発展である。
大げさかもしれないが、リンクとは、知のシナプスと言ってもいいと私は思う。
で、SNSは何をやったか
SNSは「リアルタイムな自由」を前面に出したけれど、実際に強化したのは、
情報と情報のリンクではなく、結果論的に人と人の感情反応だったと私は考えている。
結果、情報の「意味」より「反応」が、
関係性の深化より「拡散」が、
構造より「瞬間」が、
何よりもユーザーの意識下で重要な意味を持った。
リンクは文脈を作るためのものだったのに、SNSはそれを、刺激を消費するための流れにしてしまった。
これは「表現の自由」という言葉とは別物である。
私は、ウェブの進化が今、止まりかけていると考える。
ウェブが本来目指していたのは、前述の通り
「集合知の進化装置」
である。
でも今は、商業アルゴリズム、承認経済、感情の即時化といった「集合知」からかけ離れたエレメントにより、「集合感情の循環装置」
に近づいてしまっていると思う。
これは、技術の退化ではなく、文化の迷子状態だと私には映る。
私はあえてこの時代に、初期のウェブ思想そのものに立ち戻り、
「ウェブ技術を持って情報を発信することの人類史上の意味や文化的発展の意味を踏まえる」ことを改めて意識しながら、
自由である前に「責任がある」
発信である前に「接続である」
表現である前に「継承である」
という意義や目的を再認識するか、もしくは学ぶ必要があると思っている。
警鐘
よく見かける、
「批評や批判は文化の発展や、人の進化に不可欠である」
という、一見もっともそうな表面的な「自己理解」に固執することなく、本当の意味で
「情報の発信は、それそのものが文化の一部を担うことになりうる」ということを忘れずに、
これを音楽に当てはめるのであれば、
私は音楽の発信はもとより、それに関する「言葉や文章」自体、人類社会の中でどういった働きをするか、という、意味の咀嚼が必要だと思う。
自由とは、目的なき拡散ではなく、意味ある接続のための余白である
と私は世に訴えたい。
だから私は、
人類世界に必要ない、意味の無い接続に加担することなく、
「これは素敵だ」「これは美しい」という、情報の塊を次に繋げ、知が拡大する可能性のある接続を、率先して行うのです。
まとめるとね。
駄目なものを駄目だという意味なんて屁理屈で言って、個のアピールはできたとしても、実はウェブリテラシーに逆流したことに時間を使うよりも、
素敵なこと、価値、有意義な情報のハイパーリンクを、みんなで一丸となってやっていって、真の発展の種を蒔こうよ。
という私からの提案でありました。
結構大切なこと言ってみた。
DAKOKU